師走の終わり

お久しぶりです!

なるべく毎週ブログを更新したいと思っているのですが、先週は忙しくて更新できませんでした。

やはりこの時期は忙しいです。

クリスマスが終わると電飾が一気に外されて、門松が置かれます。

年末はゆっくりするイメージがありますが、実際にはドタバタしていることが多いですよね。

さてこの間、丸ビルのクリスマスツリーを見てきました。

丸ビルのツリーは毎年デザインが変わるのですが、今年は松任谷由実デビュー50周年記念ということで、ユーミンとコラボしていました。

最初は『恋人がサンタクロース』などが普通にかかっていたのですが、だんだんレトロポップ調の音楽に変わっていってびっくりしました笑

プロジェクションマッピングにはユーミンの昔の映像が流れていました。

ツリーには時計盤が飾られていて、昔にタイムスリップする演出だったみたいです。

丸ビルは比較的年齢層が高めなので、刺さった方は多いかもしれませんね。

僕は若い世代ですが、親の影響なのかユーミンの曲は好きです。

最近も朝起きて雨だったら『12月の雨』を聴きながら朝ごはんを作っています笑

雨音に気づいて 遅く起きた朝は

まだベッドの中で 半分眠りたい

『12月の雨』, 松任谷由実

ユーミンって朝の雨の曲が多いですよね。

夜明けの雨はミルク色 静かな街に

ささやきながら降りてくる 妖精たちよ

『雨の街を』, 松任谷由実

ベルベット・イースター 小雨の朝

光るしずく 窓にいっぱい

『ベルベット・イースター』, 松任谷由実

どれも歌い出しの部分ですが、全て朝の雨から始まります。

情景がスッと思い浮かべられて、まるで短編小説のようです。

『やさしさに包まれたなら』や『ルージュの伝言』のような輪郭のはっきりした曲が有名です。

でも僕は、上に挙げたようなぼんやりした夢うつつのような雰囲気の曲も好きです。

みなさんはユーミンのどの曲が好きですか?

その後に見たKITTEのクリスマスツリーも綺麗でした。

ここはクリスマス以外でもいろいろな展示をしていて、見ていて楽しいです。

KITTEから見えるこの東京駅と丸の内ビル群の景色が大好きです。

この日は週末だったので明るさ控えめ笑

クリスマスパフェを食べました。

前から食べてみたかったパフェで、すごく美味しかったです。

ちなみに、一緒に行ったのは遠くから遊びに来た女の子の友達です(彼氏とかじゃないです笑)。

ずっとクリスマスだったらいいのにな〜と思ってしまいます。

昨日が仕事納めでした。今日は部屋の大掃除をするつもりです。

最近は断捨離にハマっているので、1年間使わなかったものたちは全部捨てるつもりです。

大掃除は疲れるけど、心がスッキリしていいですね。

スッキリした心と部屋で新年を迎えたいです。

今年の9月から個人でマッサージを始めて、たくさんの人と出会えました。

来てくださった方々には、大変感謝しております。

今年は本当にお世話になりました。来年もまたよろしくお願いします。

皆さんも良い年末をお過ごしください!

湯島の歴史

こんにちは。最近は一気に寒くなりましたね。

12月はたくさん予約をいただくことができて、本当にありがたいです。

年末は29日まで営業いたします。

年始は5日から再開したいと思います。

また、今月の25日はお休みにさせていただきます(特にクリスマスの予定はないですが笑)。

料金システム改定について

そしてこの度、料金とシステムを改定いたしました。

これからはお客様に神田周辺のお部屋を用意していただいて、そこに僕が行く形式にしたいと思います。

今まではせっかくマッサージでリラックスしていただいのに、バタバタ帰る準備をさせていました。

今後はマッサージの前後にお部屋でゆっくりしていただけるかと思います。

おかげで料金体系もスッキリしてわかりやすくなりました。

今までのシステムがいいという方もいると思うので、そちらはオプションとしてご用意させていただきました。

詳しくは以下のページをご覧ください。

コース/料金 出張範囲

また、試験的に約1ヶ月前から予約を受け付けることにしました。

ホテルのデイユースも早めに予約をすると安く利用できます。

12月と1月は予約が増えると予想されるので、お早めのご予約がおすすめです。

区の条例のため、神田周辺にはラブホがありません。

風俗店の多い秋葉原にもラブホはありませんでした。

その代わり(?)アパホテルなどのシティホテルは多いため、そちらに出張することができます。

しかし先日お客さんが手配してくれたホテルへ出張してみて知ったのですが、湯島まで行くと男同士で入れるラブホがたくさんありました。

上野まで行くと少し遠いのですが、湯島なら行けます。

リーズナブルなラブホが多くて、非常におすすめです。

なんで文京区なのにこんなにラブホがあるのかずっと不思議に思っていました。

どうやら先に花街が存在していて、後から東大などの大学が移転してきたそうです。

元々そういう街なのだから、ニューカマーたちがラブホは文教地区にふさわしくないから出ていけとは言えないですよね笑

湯島の歴史をいろいろ調べてみたらとても面白かったです。

江戸時代は湯島といえばゲイの街だったようで、びっくりでした。

今回は湯島の陰間茶屋(江戸時代のウリ専)について紹介したいと思います。

湯島の陰間茶屋

『湯島之景』, 小倉柳村 作, 1880年(明治13年)

陰間茶屋の多くは歌舞伎役者の多い芳町や堺町、葺屋町などの芝居町にありました。

なぜ芝居町ではない湯島に陰間茶屋が多かったかというと

①湯島天神では宮地芝居が行われており、陰間茶屋ができる下地があった

②東叡山(寛永寺)が近くにあった

③湯島天神の隣に、その別当寺(神社を管理する寺)である東叡山喜見院があった

④陰間は女色を禁じられている東叡山の僧侶たちに需要があった

⑤僧侶たちが通うため、湯島天神の陰間茶屋が繁盛した

ということだそうです。

本当に日本って性に関しておおらかですよね笑

神社に男娼がいてそこに僧侶が通うって、もう何が聖で何が俗なのかわからないです。

陰間茶屋は、料理茶屋に待機所から陰間を呼ぶいわゆるホテヘル形式だったそうです。

ちょうど僕も出張マッサージの形式に変更したところなので、なんだか妙な共通点を感じました。

1842年の天保の改革で陰間茶屋は禁止されましたが、寛永寺は徳川家にとって大切な寺院であったため、湯島天神の陰間茶屋は営業を続けることができたそうです。

しかし1868年の上野戦争により寛永寺は焼けてしまい、陰間茶屋も得意先をなくしてしまいました。

陰間の市場が縮小する中で、芸妓・娼妓を他所から呼ぶようになり、湯島は一般的な花街になっていったそうです。

現在湯島にラブホテルが多いのは、その花街だった頃の名残なのでしょうね。

文教地区にラブホ街があるのはどうなのかと思いましたが、実際に行ってみると湯島のラブホは坂の上にあります。

その坂も広い道路で隔てられて空間的に分けられているため、周辺に住む住民もあまり文句を言わないのかもしれません。

高台だからこそ治安も良いらしく、湯島のラブホはおすすめです。

最初は湯島天神の周りにラブホが多いのを見て、なんて罰当たりなんだと思いました。

しかし歴史を紐解いてみると、むしろ神社や寺があったからこそ陰間茶屋が生まれ、花街となり、そして現在のラブホ街となったんですね。

湯島に多く存在する男同士で入れるラブホは、陰間の歴史の忘れ形見なのでしょうか。

杉田水脈批判に思うこと〜生産性がないことは悪なのか〜

LGBTは生産性がないという発言で有名な杉田水脈議員が、また話題になっていますね。

杉田議員の記事全部を読むと、個人的にはそこまで悪質なことを言っているとは感じませんでした。

当該記事の全文を載せている方がいたのでリンクを貼っておきます。

あの発言は少子化問題に焦点を当てたものでした。

その点では、LGBTは子どもを生めないから生産性がないというのは事実だと思います。

子どもを生めない女性が、子どもを生める女性と比べて生産性がないことと同じです。

ただ、全文を読んでいないまま「生産性がない」とだけ聞かされたら否定的な感じがするし、不快になりますよね。

僕も望んでゲイになったわけではないですし、持てるものなら子どもを持ちたいです。

杉田議員を擁護する人と批判する人が生まれるのは、このように1つの発言に対する見方が違うからだと思います。

擁護する人は事実をベースに発言を見ています。

批判する人は道徳や正義をベースに杉田議員を批判しています。

お互いの考えの軸となっているものが違っており、それぞれの見方ではどちらも正しいです。

そのため議論はずっと平行線のままです。

今回はそこから一歩踏み込んだ、LGBTの存在についての生物学的な見方をしてみたいと思います。

なぜ生産性のないLGBTが存在しているのかという疑問を解くヒントになるかもしれません。

なぜLGBTは自然淘汰されなかったのか

まず、なぜLGBTが存在するのかについて考えていきたいと思います。

ダーウィンの進化論によれば、生物は生存に有利な形質が残り、不利な形質は淘汰されていきます。

では、子を残さないLGBTはなぜ淘汰されなかったのでしょうか。

神様のいたずらでしょうか?

そうではないでしょうね。

LGBTの形質が淘汰されなかったのは、その形質が必要だったからです。

子を残さない形質というのは、人間のLGBTに限った存在ではありません。

たとえばアリやハチは女王しか子を産みません。

自然淘汰説に従えば、女王しか子を産まないのだから、子を産む形質ばかりが残るはずです。

しかし実際には子を産まない働きアリと働きバチばかりが存在しています。

この進化論の矛盾は、ダーウィン自身も認めていました。

血縁選択説

このダーウィン進化論の欠点に対して、「血縁選択」という新しい説を提唱したのがハミルトンという学者です。

血縁選択説についてはWikipediaのページをご参照ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/血縁選択説

要は、自らの子孫を増やすのではなく、血縁者の繁殖成功を手伝うことで自分に近い遺伝子を残し、群れの生存可能性を高めるという繁殖戦略があるということです。

食糧で考えるとわかりやすいです。

各々の子どもたち全員に少ない食糧を分け与えて全員が餓死するのではなく、子どもを作らない個体が自分の兄弟の子どもたちに食糧を分け与えることで、甥や姪は餓死せずに生き残れるということです。

子を残さないLGBTにこの血縁選択の考えを当てはめるとどうなるでしょうか。

LGBTは敢えて子を残さないことで、自分に似た遺伝子を持つ他の血縁者の子孫を残すのを手伝っている、という説を立てることができます。

甥っ子や姪っ子を可愛がっているゲイの人をよく見てきました。

自分の実感としてもLGBTが種のヘルパーとして存在しているという説はありえると思います。

その他の説

LGBTが存在する理由にはいくつかの説があり、上の例はその1つに過ぎません。

他の調査によると、ゲイの血縁者には子をたくさん産んでいる女性が多いことがわかったそうです。

子孫をたくさん残すために「男好きになる遺伝子」なるものが存在していて、それが男性に遺伝するとゲイになるという面白い説もあります。

なんだか身も蓋もないような気がして、個人的にこの説は好きではないのですが笑

けれどこの説が正しいとしても、「男好きになる遺伝子」は自然淘汰されてこなかったことがわかります。

つまりLGBTの中に存在するこの遺伝子は、種の保存のためには必要なものです。

一見生産性のない無意味な存在であっても、生物である限り生まれてきた理由は必ずあります。

働きアリの法則

アリの話で思い出したのですが、みなさんは「働きアリの法則」というものをご存知でしょうか。

アリのコロニーには、働くアリが2割、普通のアリが6割、働かないアリが2割いるそうです。

面白いのは、働く優秀なアリだけを残したコロニーでも、2割が働くアリ、6割が普通のアリ、2割が働かないアリになってしまうことです。

働かないアリには生産性がありませんが、一定の割合で必ずいることから考えると、コロニーにとって必要な存在であることがわかります。

実はこの働かないアリたちは、他のアリが疲れて休むときに代わりに働き出すそうです。

全部のアリが働いて同時に疲れて休んでしまうとコロニーが回らなくなるため、働かないアリが一定の割合で存在しているそうです。

生産性がなさそうに見えるけれどコミュニティの存続のために必要な存在という点で、LGBTに似ているなと感じました。

杉田議員の提案

話を元に戻しましょう。

上記の考えや説を踏まえた上で、杉田議員の発言を見ていきたいと思います。

メディアには発言全体を取り上げたものが少ないように感じるのですが、実際の発言内容は以下の通りです。

子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

僕はこの発言がもっともだと思ってしまいます。

同性カップルは共働き率が高く、子どももいないので支出が比較的少ないです。

それならば同性カップルたちが納めた税金を、子育て支援に遣う方がヒトという種全体のためになります。

こちらの方が血縁選択説的にも正しいのではないでしょうか。

理想家の方々の中には人間は子ども生むために生きているわけではないという人もいるでしょう。

それは進化論の否定となるため、事実ベースで見ている人とは議論になりません。

道徳家の方々は「生産性がない」ことを否定します。

しかしLGBTはむしろ生産性がないことに存在意義があると僕は考えています。

生産性がないことを否定してしまったら、LGBTを否定するのと同じような気がします。

杉田議員の他の発言

全文を読んだ方はわかると思いますが、個人的には杉田議員はLGBTに関心を持っていて、よく考えている方だと思います。

記事中の発言をいくつか引用したいと思います。

 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。

以前秋夜長物語の記事で書いたように、歴史的に日本はLGBTに寛容でした。

元の文化が違うのだから、単に欧米を模倣することは無意味だと僕も思います。

 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。

これも本当に同意します。

LGBTは自殺率が高いですが、自殺にまで至る原因というのは社会的な差別にあるのでしょうか。

それよりも、親が理解してくれないこと、好きな人に好きと言えないこと、子を生めないことなどの方が絶望に至る原因だと僕は考えます。

そもそも僕たちの苦悩の大半は、行政の経済支援などで解決できる問題ではないです。

おわりに

僕は生産性がないことには理由があるとずっと思っていました。

そのため、杉田議員の生産性がないという発言に特に怒りが湧いたりはしませんでした。

生産性のないことに意味がある、パラドックス的なこの考えは生きることを楽にしてくれると思います。

『ハリー・ポッター』の原作者であるJ・K・ローリングは、かつて生活保護を受給していたそうです。

人間は休んだり、役割分担をしたりしないとそれこそ生産性のあることができなくなります。

コロナが流行してからというもの、僕たちの生活からは生産性のないものがすっかり排除されました。

無駄だった通勤、無駄だった会議、付き合いで参加する飲み会。

生活に必要のないものが全てなくなりました。

残ったものは最低限の生活と、最低限の人間関係。

この生活、楽しいでしょうか。

僕はこの3年間、生きている実感を得る機会が減ったような気がします。

今まで無意味だと思っていたものが、実は必要なものだったと気づきました。

LGBTだって、きっと生きていることに意味はあるはずです。