湯島の歴史

こんにちは。最近は一気に寒くなりましたね。

12月はたくさん予約をいただくことができて、本当にありがたいです。

年末は29日まで営業いたします。

年始は5日から再開したいと思います。

また、今月の25日はお休みにさせていただきます(特にクリスマスの予定はないですが笑)。

料金システム改定について

そしてこの度、料金とシステムを改定いたしました。

これからはお客様に神田周辺のお部屋を用意していただいて、そこに僕が行く形式にしたいと思います。

今まではせっかくマッサージでリラックスしていただいのに、バタバタ帰る準備をさせていました。

今後はマッサージの前後にお部屋でゆっくりしていただけるかと思います。

おかげで料金体系もスッキリしてわかりやすくなりました。

今までのシステムがいいという方もいると思うので、そちらはオプションとしてご用意させていただきました。

詳しくは以下のページをご覧ください。

コース/料金 出張範囲

また、試験的に約1ヶ月前から予約を受け付けることにしました。

ホテルのデイユースも早めに予約をすると安く利用できます。

12月と1月は予約が増えると予想されるので、お早めのご予約がおすすめです。

区の条例のため、神田周辺にはラブホがありません。

風俗店の多い秋葉原にもラブホはありませんでした。

その代わり(?)アパホテルなどのシティホテルは多いため、そちらに出張することができます。

しかし先日お客さんが手配してくれたホテルへ出張してみて知ったのですが、湯島まで行くと男同士で入れるラブホがたくさんありました。

上野まで行くと少し遠いのですが、湯島なら行けます。

リーズナブルなラブホが多くて、非常におすすめです。

なんで文京区なのにこんなにラブホがあるのかずっと不思議に思っていました。

どうやら先に花街が存在していて、後から東大などの大学が移転してきたそうです。

元々そういう街なのだから、ニューカマーたちがラブホは文教地区にふさわしくないから出ていけとは言えないですよね笑

湯島の歴史をいろいろ調べてみたらとても面白かったです。

江戸時代は湯島といえばゲイの街だったようで、びっくりでした。

今回は湯島の陰間茶屋(江戸時代のウリ専)について紹介したいと思います。

湯島の陰間茶屋

『湯島之景』, 小倉柳村 作, 1880年(明治13年)

陰間茶屋の多くは歌舞伎役者の多い芳町や堺町、葺屋町などの芝居町にありました。

なぜ芝居町ではない湯島に陰間茶屋が多かったかというと

①湯島天神では宮地芝居が行われており、陰間茶屋ができる下地があった

②東叡山(寛永寺)が近くにあった

③湯島天神の隣に、その別当寺(神社を管理する寺)である東叡山喜見院があった

④陰間は女色を禁じられている東叡山の僧侶たちに需要があった

⑤僧侶たちが通うため、湯島天神の陰間茶屋が繁盛した

ということだそうです。

本当に日本って性に関しておおらかですよね笑

神社に男娼がいてそこに僧侶が通うって、もう何が聖で何が俗なのかわからないです。

陰間茶屋は、料理茶屋に待機所から陰間を呼ぶいわゆるホテヘル形式だったそうです。

ちょうど僕も出張マッサージの形式に変更したところなので、なんだか妙な共通点を感じました。

1842年の天保の改革で陰間茶屋は禁止されましたが、寛永寺は徳川家にとって大切な寺院であったため、湯島天神の陰間茶屋は営業を続けることができたそうです。

しかし1868年の上野戦争により寛永寺は焼けてしまい、陰間茶屋も得意先をなくしてしまいました。

陰間の市場が縮小する中で、芸妓・娼妓を他所から呼ぶようになり、湯島は一般的な花街になっていったそうです。

現在湯島にラブホテルが多いのは、その花街だった頃の名残なのでしょうね。

文教地区にラブホ街があるのはどうなのかと思いましたが、実際に行ってみると湯島のラブホは坂の上にあります。

その坂も広い道路で隔てられて空間的に分けられているため、周辺に住む住民もあまり文句を言わないのかもしれません。

高台だからこそ治安も良いらしく、湯島のラブホはおすすめです。

最初は湯島天神の周りにラブホが多いのを見て、なんて罰当たりなんだと思いました。

しかし歴史を紐解いてみると、むしろ神社や寺があったからこそ陰間茶屋が生まれ、花街となり、そして現在のラブホ街となったんですね。

湯島に多く存在する男同士で入れるラブホは、陰間の歴史の忘れ形見なのでしょうか。