花の色は

こんにちは。いつの間にか春になっていましたね。

最近は忙しくなってきて、ブログの更新も遅くなってしまいました。

最近はずっと雨続きです。ここ一週間くらいずっと雨が降っています。

ちょうど桜が満開の時期と被ってしまい、少し残念です。

雨が落ち着いて外に出てみたら、もう散っている桜もちらほらありました。

桜と雨といえば、小野小町の歌を思い出しますね。

花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに

【現代語訳】
桜の花の色がむなしく色褪せてしまったように、私の美貌もすっかり衰えてしまった。春の長雨が降り続き、世間や恋なんかに思い悩んでいる間に。

和歌の中で一番有名な歌かもしれません。

この歌に宿る無常の美は、日本人の感性に響くものだと思います。

日本は四季の変化が激しく、天災も多いため、今存在するその瞬間のものに美しさを見出すと聞いたことがあります。

夏の花火なんかはほんの一瞬の美しさであって、綺麗だと思った瞬間には消えています。

秋の紅葉、冬の雪まつりにも同じことが言えます。

春のお花見も、ほんの1〜2週間くらいの間だけ楽しめる行事です。

大人になってからこの歌の良さがよくわかってきたような気がします。

それと同時に、この歌には考えさせられます。

若さというのは目減りしていくもので、ゲイマッサージの仕事もいつまでもはできないんだなと考えてしまいます。

だからこそ新しい仕事を始めたのかなと思います。

ゲイマッサージの人たちって引退した後は何をやっているんでしょうね。

経験を活かして普通のマッサージ師になる人もいそうですが、マッサージってけっこう体力仕事です。

自分は年を取っても続けられる自信はないです。

上野らへんでは親父っぽさを売りにしているお店なんかもあるみたいですね。

以前にも言いましたが、ゲイの好みは千差万別で、どんな人でも需要があるんだなと思いました。

これも日本独特の美的価値観なのかもしれません。

同じ東アジアの国でも、韓国のアイドルは僕にとってはみんな同じ顔に見えてしまいます。

おそらく理想の顔が決まっていて、それに近いかどうかが美の価値基準になっているのではないかと思います。

その美的価値観も否定はしませんが、個人的には個性のある方がいいなと感じます。

日本の普通の風俗も、ギャル系だったり熟女系だったりデブ系だったり、それぞれのお店のコンセプトが細分化されています。

世界的に見ると珍しいんじゃないかなと思います。

小野小町の歌は、自身の美貌の衰えを嘆いている歌です。

けれど我々は、桜を眺めて思い悩んでいる小野小町を想像し、そこに美しさを感じています。

咲き始めの桜にも、満開の桜にも、散りゆく桜にも美しさを見出すのは、日本人ならではの感性なのだと思います。

小野小町の歌にちなんだ曲に、Perfume の Flash という曲があります。

イントロ部分がとても好きです。

花の色が 変われるほどの
永い時の密度に近くて
フレームは一瞬 スローモーションで
一直線 光裂くように

映画『ちはやふる』の主題歌で、引用の後半部分は競技カルタのスピード性についての歌詞です。

競技カルタで歌が詠まれる瞬間は、緊張感や不安や期待でいっぱいだと思います。

その一瞬のようで密度の濃い時の流れを「花の色が変われるほどの永い時の密度」に近いと表現しています。

この前半部分は、小野小町への千年越しの返し歌なのではないかと感じました。

小野小町は恋多き女性として知られています。

彼女は生きている間にたくさんの人と出会い、いろいろなことを考えてきたでしょう。

花は色褪せてしまっても、そうなるまでの時間は色濃いものであったはずです。

美貌は衰えてしまったかもしれないが、あなたの人生はいたづらなんかじゃない、と言っているような気がします。