師走の終わり

お久しぶりです!

なるべく毎週ブログを更新したいと思っているのですが、先週は忙しくて更新できませんでした。

やはりこの時期は忙しいです。

クリスマスが終わると電飾が一気に外されて、門松が置かれます。

年末はゆっくりするイメージがありますが、実際にはドタバタしていることが多いですよね。

さてこの間、丸ビルのクリスマスツリーを見てきました。

丸ビルのツリーは毎年デザインが変わるのですが、今年は松任谷由実デビュー50周年記念ということで、ユーミンとコラボしていました。

最初は『恋人がサンタクロース』などが普通にかかっていたのですが、だんだんレトロポップ調の音楽に変わっていってびっくりしました笑

プロジェクションマッピングにはユーミンの昔の映像が流れていました。

ツリーには時計盤が飾られていて、昔にタイムスリップする演出だったみたいです。

丸ビルは比較的年齢層が高めなので、刺さった方は多いかもしれませんね。

僕は若い世代ですが、親の影響なのかユーミンの曲は好きです。

最近も朝起きて雨だったら『12月の雨』を聴きながら朝ごはんを作っています笑

雨音に気づいて 遅く起きた朝は

まだベッドの中で 半分眠りたい

『12月の雨』, 松任谷由実

ユーミンって朝の雨の曲が多いですよね。

夜明けの雨はミルク色 静かな街に

ささやきながら降りてくる 妖精たちよ

『雨の街を』, 松任谷由実

ベルベット・イースター 小雨の朝

光るしずく 窓にいっぱい

『ベルベット・イースター』, 松任谷由実

どれも歌い出しの部分ですが、全て朝の雨から始まります。

情景がスッと思い浮かべられて、まるで短編小説のようです。

『やさしさに包まれたなら』や『ルージュの伝言』のような輪郭のはっきりした曲が有名です。

でも僕は、上に挙げたようなぼんやりした夢うつつのような雰囲気の曲も好きです。

みなさんはユーミンのどの曲が好きですか?

その後に見たKITTEのクリスマスツリーも綺麗でした。

ここはクリスマス以外でもいろいろな展示をしていて、見ていて楽しいです。

KITTEから見えるこの東京駅と丸の内ビル群の景色が大好きです。

この日は週末だったので明るさ控えめ笑

クリスマスパフェを食べました。

前から食べてみたかったパフェで、すごく美味しかったです。

ちなみに、一緒に行ったのは遠くから遊びに来た女の子の友達です(彼氏とかじゃないです笑)。

ずっとクリスマスだったらいいのにな〜と思ってしまいます。

昨日が仕事納めでした。今日は部屋の大掃除をするつもりです。

最近は断捨離にハマっているので、1年間使わなかったものたちは全部捨てるつもりです。

大掃除は疲れるけど、心がスッキリしていいですね。

スッキリした心と部屋で新年を迎えたいです。

今年の9月から個人でマッサージを始めて、たくさんの人と出会えました。

来てくださった方々には、大変感謝しております。

今年は本当にお世話になりました。来年もまたよろしくお願いします。

皆さんも良い年末をお過ごしください!

湯島の歴史

こんにちは。最近は一気に寒くなりましたね。

12月はたくさん予約をいただくことができて、本当にありがたいです。

年末は29日まで営業いたします。

年始は5日から再開したいと思います。

また、今月の25日はお休みにさせていただきます(特にクリスマスの予定はないですが笑)。

料金システム改定について

そしてこの度、料金とシステムを改定いたしました。

これからはお客様に神田周辺のお部屋を用意していただいて、そこに僕が行く形式にしたいと思います。

今まではせっかくマッサージでリラックスしていただいのに、バタバタ帰る準備をさせていました。

今後はマッサージの前後にお部屋でゆっくりしていただけるかと思います。

おかげで料金体系もスッキリしてわかりやすくなりました。

今までのシステムがいいという方もいると思うので、そちらはオプションとしてご用意させていただきました。

詳しくは以下のページをご覧ください。

コース/料金 出張範囲

また、試験的に約1ヶ月前から予約を受け付けることにしました。

ホテルのデイユースも早めに予約をすると安く利用できます。

12月と1月は予約が増えると予想されるので、お早めのご予約がおすすめです。

区の条例のため、神田周辺にはラブホがありません。

風俗店の多い秋葉原にもラブホはありませんでした。

その代わり(?)アパホテルなどのシティホテルは多いため、そちらに出張することができます。

しかし先日お客さんが手配してくれたホテルへ出張してみて知ったのですが、湯島まで行くと男同士で入れるラブホがたくさんありました。

上野まで行くと少し遠いのですが、湯島なら行けます。

リーズナブルなラブホが多くて、非常におすすめです。

なんで文京区なのにこんなにラブホがあるのかずっと不思議に思っていました。

どうやら先に花街が存在していて、後から東大などの大学が移転してきたそうです。

元々そういう街なのだから、ニューカマーたちがラブホは文教地区にふさわしくないから出ていけとは言えないですよね笑

湯島の歴史をいろいろ調べてみたらとても面白かったです。

江戸時代は湯島といえばゲイの街だったようで、びっくりでした。

今回は湯島の陰間茶屋(江戸時代のウリ専)について紹介したいと思います。

湯島の陰間茶屋

『湯島之景』, 小倉柳村 作, 1880年(明治13年)

陰間茶屋の多くは歌舞伎役者の多い芳町や堺町、葺屋町などの芝居町にありました。

なぜ芝居町ではない湯島に陰間茶屋が多かったかというと

①湯島天神では宮地芝居が行われており、陰間茶屋ができる下地があった

②東叡山(寛永寺)が近くにあった

③湯島天神の隣に、その別当寺(神社を管理する寺)である東叡山喜見院があった

④陰間は女色を禁じられている東叡山の僧侶たちに需要があった

⑤僧侶たちが通うため、湯島天神の陰間茶屋が繁盛した

ということだそうです。

本当に日本って性に関しておおらかですよね笑

神社に男娼がいてそこに僧侶が通うって、もう何が聖で何が俗なのかわからないです。

陰間茶屋は、料理茶屋に待機所から陰間を呼ぶいわゆるホテヘル形式だったそうです。

ちょうど僕も出張マッサージの形式に変更したところなので、なんだか妙な共通点を感じました。

1842年の天保の改革で陰間茶屋は禁止されましたが、寛永寺は徳川家にとって大切な寺院であったため、湯島天神の陰間茶屋は営業を続けることができたそうです。

しかし1868年の上野戦争により寛永寺は焼けてしまい、陰間茶屋も得意先をなくしてしまいました。

陰間の市場が縮小する中で、芸妓・娼妓を他所から呼ぶようになり、湯島は一般的な花街になっていったそうです。

現在湯島にラブホテルが多いのは、その花街だった頃の名残なのでしょうね。

文教地区にラブホ街があるのはどうなのかと思いましたが、実際に行ってみると湯島のラブホは坂の上にあります。

その坂も広い道路で隔てられて空間的に分けられているため、周辺に住む住民もあまり文句を言わないのかもしれません。

高台だからこそ治安も良いらしく、湯島のラブホはおすすめです。

最初は湯島天神の周りにラブホが多いのを見て、なんて罰当たりなんだと思いました。

しかし歴史を紐解いてみると、むしろ神社や寺があったからこそ陰間茶屋が生まれ、花街となり、そして現在のラブホ街となったんですね。

湯島に多く存在する男同士で入れるラブホは、陰間の歴史の忘れ形見なのでしょうか。

杉田水脈批判に思うこと〜生産性がないことは悪なのか〜

LGBTは生産性がないという発言で有名な杉田水脈議員が、また話題になっていますね。

杉田議員の記事全部を読むと、個人的にはそこまで悪質なことを言っているとは感じませんでした。

当該記事の全文を載せている方がいたのでリンクを貼っておきます。

あの発言は少子化問題に焦点を当てたものでした。

その点では、LGBTは子どもを生めないから生産性がないというのは事実だと思います。

子どもを生めない女性が、子どもを生める女性と比べて生産性がないことと同じです。

ただ、全文を読んでいないまま「生産性がない」とだけ聞かされたら否定的な感じがするし、不快になりますよね。

僕も望んでゲイになったわけではないですし、持てるものなら子どもを持ちたいです。

杉田議員を擁護する人と批判する人が生まれるのは、このように1つの発言に対する見方が違うからだと思います。

擁護する人は事実をベースに発言を見ています。

批判する人は道徳や正義をベースに杉田議員を批判しています。

お互いの考えの軸となっているものが違っており、それぞれの見方ではどちらも正しいです。

そのため議論はずっと平行線のままです。

今回はそこから一歩踏み込んだ、LGBTの存在についての生物学的な見方をしてみたいと思います。

なぜ生産性のないLGBTが存在しているのかという疑問を解くヒントになるかもしれません。

なぜLGBTは自然淘汰されなかったのか

まず、なぜLGBTが存在するのかについて考えていきたいと思います。

ダーウィンの進化論によれば、生物は生存に有利な形質が残り、不利な形質は淘汰されていきます。

では、子を残さないLGBTはなぜ淘汰されなかったのでしょうか。

神様のいたずらでしょうか?

そうではないでしょうね。

LGBTの形質が淘汰されなかったのは、その形質が必要だったからです。

子を残さない形質というのは、人間のLGBTに限った存在ではありません。

たとえばアリやハチは女王しか子を産みません。

自然淘汰説に従えば、女王しか子を産まないのだから、子を産む形質ばかりが残るはずです。

しかし実際には子を産まない働きアリと働きバチばかりが存在しています。

この進化論の矛盾は、ダーウィン自身も認めていました。

血縁選択説

このダーウィン進化論の欠点に対して、「血縁選択」という新しい説を提唱したのがハミルトンという学者です。

血縁選択説についてはWikipediaのページをご参照ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/血縁選択説

要は、自らの子孫を増やすのではなく、血縁者の繁殖成功を手伝うことで自分に近い遺伝子を残し、群れの生存可能性を高めるという繁殖戦略があるということです。

食糧で考えるとわかりやすいです。

各々の子どもたち全員に少ない食糧を分け与えて全員が餓死するのではなく、子どもを作らない個体が自分の兄弟の子どもたちに食糧を分け与えることで、甥や姪は餓死せずに生き残れるということです。

子を残さないLGBTにこの血縁選択の考えを当てはめるとどうなるでしょうか。

LGBTは敢えて子を残さないことで、自分に似た遺伝子を持つ他の血縁者の子孫を残すのを手伝っている、という説を立てることができます。

甥っ子や姪っ子を可愛がっているゲイの人をよく見てきました。

自分の実感としてもLGBTが種のヘルパーとして存在しているという説はありえると思います。

その他の説

LGBTが存在する理由にはいくつかの説があり、上の例はその1つに過ぎません。

他の調査によると、ゲイの血縁者には子をたくさん産んでいる女性が多いことがわかったそうです。

子孫をたくさん残すために「男好きになる遺伝子」なるものが存在していて、それが男性に遺伝するとゲイになるという面白い説もあります。

なんだか身も蓋もないような気がして、個人的にこの説は好きではないのですが笑

けれどこの説が正しいとしても、「男好きになる遺伝子」は自然淘汰されてこなかったことがわかります。

つまりLGBTの中に存在するこの遺伝子は、種の保存のためには必要なものです。

一見生産性のない無意味な存在であっても、生物である限り生まれてきた理由は必ずあります。

働きアリの法則

アリの話で思い出したのですが、みなさんは「働きアリの法則」というものをご存知でしょうか。

アリのコロニーには、働くアリが2割、普通のアリが6割、働かないアリが2割いるそうです。

面白いのは、働く優秀なアリだけを残したコロニーでも、2割が働くアリ、6割が普通のアリ、2割が働かないアリになってしまうことです。

働かないアリには生産性がありませんが、一定の割合で必ずいることから考えると、コロニーにとって必要な存在であることがわかります。

実はこの働かないアリたちは、他のアリが疲れて休むときに代わりに働き出すそうです。

全部のアリが働いて同時に疲れて休んでしまうとコロニーが回らなくなるため、働かないアリが一定の割合で存在しているそうです。

生産性がなさそうに見えるけれどコミュニティの存続のために必要な存在という点で、LGBTに似ているなと感じました。

杉田議員の提案

話を元に戻しましょう。

上記の考えや説を踏まえた上で、杉田議員の発言を見ていきたいと思います。

メディアには発言全体を取り上げたものが少ないように感じるのですが、実際の発言内容は以下の通りです。

子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

僕はこの発言がもっともだと思ってしまいます。

同性カップルは共働き率が高く、子どももいないので支出が比較的少ないです。

それならば同性カップルたちが納めた税金を、子育て支援に遣う方がヒトという種全体のためになります。

こちらの方が血縁選択説的にも正しいのではないでしょうか。

理想家の方々の中には人間は子ども生むために生きているわけではないという人もいるでしょう。

それは進化論の否定となるため、事実ベースで見ている人とは議論になりません。

道徳家の方々は「生産性がない」ことを否定します。

しかしLGBTはむしろ生産性がないことに存在意義があると僕は考えています。

生産性がないことを否定してしまったら、LGBTを否定するのと同じような気がします。

杉田議員の他の発言

全文を読んだ方はわかると思いますが、個人的には杉田議員はLGBTに関心を持っていて、よく考えている方だと思います。

記事中の発言をいくつか引用したいと思います。

 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。

以前秋夜長物語の記事で書いたように、歴史的に日本はLGBTに寛容でした。

元の文化が違うのだから、単に欧米を模倣することは無意味だと僕も思います。

 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。

これも本当に同意します。

LGBTは自殺率が高いですが、自殺にまで至る原因というのは社会的な差別にあるのでしょうか。

それよりも、親が理解してくれないこと、好きな人に好きと言えないこと、子を生めないことなどの方が絶望に至る原因だと僕は考えます。

そもそも僕たちの苦悩の大半は、行政の経済支援などで解決できる問題ではないです。

おわりに

僕は生産性がないことには理由があるとずっと思っていました。

そのため、杉田議員の生産性がないという発言に特に怒りが湧いたりはしませんでした。

生産性のないことに意味がある、パラドックス的なこの考えは生きることを楽にしてくれると思います。

『ハリー・ポッター』の原作者であるJ・K・ローリングは、かつて生活保護を受給していたそうです。

人間は休んだり、役割分担をしたりしないとそれこそ生産性のあることができなくなります。

コロナが流行してからというもの、僕たちの生活からは生産性のないものがすっかり排除されました。

無駄だった通勤、無駄だった会議、付き合いで参加する飲み会。

生活に必要のないものが全てなくなりました。

残ったものは最低限の生活と、最低限の人間関係。

この生活、楽しいでしょうか。

僕はこの3年間、生きている実感を得る機会が減ったような気がします。

今まで無意味だと思っていたものが、実は必要なものだったと気づきました。

LGBTだって、きっと生きていることに意味はあるはずです。

某批評掲示板

先日来ていただいたお客様から、某批評掲示板にDevaKedaraの板があることを聞きました。

僕はあの掲示板が好きではないです。

以前お店にいたとき、ある時からルール違反をしようとするお客さんに対してやや強めに断ったり、NGを出すようにしました。

その頃から僕に対しての誹謗中傷やデマの書き込みが多くなりました。

あの掲示板で叩かれているボーイさんは、僕と同じような人が多いんじゃないかなと思います。

誰かに悪意を持たれてそういうことを書かれたことが悲しくて、落ち込んだ時期もあります。

実際にお店で働いていてわかったのですが、掲示板の書き込みはあてにならないと思います。

お客さんの好みは千差万別です。

ゲイの世界では世間一般では芋くさいと言われる人も需要があります。

他の人にとってのイケメンが、自分にとってはイケメンじゃないなんてことはよくある話です。

掲示板の良い書き込みを見て、期待して行った結果自分の好みじゃなかったというのもよくあるはずです。

みんな各々の異なった理想のイケメン像を持っているのに、それが普遍的なものであると誤解しています。

その結果、掲示板の内容とのズレを感じてしまうのだと思います。

批判的な書き込みで溢れる理由はこれだと僕は思っています。

「プディングの味は食べてみなければわからない」ということわざがあります。

そのボーイさんがどんな人なのかは実際に行ってみるまでわからないし、自分に合うかどうかも会ってみるまでわかりません。

確かにゲイマッサージは1回に支払う料金が普通のマッサージと比べると高いので、書き込みを参考にしたくなるのもわかります。

けれど実際、書いてあることは出鱈目ばかりです。

僕自身は一度も書き込んだことがないのですが、たまに良い書き込みをいただくと「自演だ」とレスがついていました。

あの掲示板には殺伐とした空気感があります。

デマや誹謗中傷を書かれると傷つくし、良いことを書かれても自演だと言われるし、セラピストにとっては何のメリットもありません。

僕も体調等の問題で毎回全部良いマッサージができているとは言えないです。

掲示板で文句を言いたくなるくらい不快にさせてしまうこともあるかもしれないし、それは止められないです。

けれど本音を言うと、良いことも悪いことも何も書いてほしくないです。

話題に上がること自体が嫌です。

ただ残念ながら、僕がこう言っても悪意を持った書き込みはなくならないと思います。

僕は様々なマイノリティーとしてずっと生きてきました。

差別がなくならないのは、身に染みて感じています。

イジメをなくそうと言葉で言ってもなくならないように、誹謗中傷がなくなることはありません。

人間が人間である限り、みんながみんな道徳的に正しくいられるわけではありません。

戦争は悪なのに、今も続いていることからもそれは明らかです。

僕たちが人間である以上、それは仕方のないことなのかもしれません。

残念ですが、攻撃されてしまったら自分のことは自分で守るしかないです。

以下は匿名掲示板で傷ついているボーイさんがいたら伝えたいことです。

あまりにも悪質な場合は法的措置も考えるべきですが、書き込みは基本的に見ない、あるいは気にしない方が自分のメンタルのためです。

悪質な書き込みに思い悩んで自分の時間と精神を遣うのは無駄です。

人間なのだから、どんなボーイとお客さんにも合う合わないがあります。

たとえ掲示板で悪く書かれても、自分のことを気に入ってくれるお客さんはいます。

自分を嫌っている人の言葉に思い悩むよりも、自分を好きでいてくれる人を大切にした方がいいです。

全員に好かれることは無理です。

これはマッサージだけではなく、人間関係全般に当てはまることです。

それに気づいてから、僕自身は楽になりました。

変に好かれようとせず、ありのままの自分を気に入ってくれる人を大切にした方がいいです。

そうすれば今よりもずっと生きやすくなるはずです。

懐かしむ気持ち

先日、出張で芝公園のホテルに行ってきました。

芝公園まで行ったことがなかったので、距離感を掴むために一度行ってみました。

南は新橋くらいまでならギリギリ出張可能かもしれません。

予約状況にもよるので、出張をご希望の方は一度ご連絡ください!

今回は自転車で浜離宮の脇を通って行ってみたのですが、東京って海から近いんだなと実感しました。

地図を見ればそんなことはわかるのですが、電車に乗って都内を移動していると実際の距離感はよくわからないんですよね。

浜離宮はコロナで休園していたイメージですが、もう入れるみたいでした。

帰りに寄ろうと思っていたけれど、東京タワーのイルミネーションがとても綺麗で、そちらに引き寄せられてしまいました。

東京タワーとスカイツリー、どちらが東京のシンボルかという論争が度々なされます。

僕は圧倒的に東京タワーだと思っています。

確かにスカイツリーの方が高いし新しいし派手です。

けれど東京タワーは都会のド真ん中に建っていて、周辺の建物と共に街を照らしている感じが美しいです。

ギラギラした光ではなく、蝋燭のように温かく街を内側から包み込む優しい灯りです。

東京に来た頃はスカイツリーにばかり行っていた記憶があります。

その時は新しいものが良いものだと思っていたのかもしれません。

けれど最近は古いものに趣を感じるようになってきました。

中学や高校の修学旅行で回った神社仏閣は何も面白くありませんでしたが、今行ったら楽しめると思います。

東京タワーは昭和の日本の技術の集大成です。

きっと当時あのタワーを見た人たちは、明るい未来に目を輝かせいたんだと思います。

クレヨンしんちゃんの映画で、『オトナ帝国の逆襲』という作品があります。

昔を懐かしんで手放したくないオトナたちと、未来を取り戻したいしんのすけたちが闘います。

オトナ帝国(正式名称は「イエスタデイ・ワンスモア」)の象徴的な建造物が東京タワーのような形をしています。

しんのすけがそのタワーを駆け上がるシーンがあるのですが、迫力がすごいです。

まだ観たことのない人は、ぜひ観てみてください。

風間くんが物語の序盤で「懐かしいって、そんなにいいことなのかな」と言います。

5歳児には「懐かしい」という感覚が理解できず、未来を生きたいと当たり前のように思っています。

それに対してヒロシやみさえは古き良き昭和の時代、日本がまだ希望に満ち溢れていた輝かしい20世紀に強く惹かれて過去に戻りたくなってしまいます。

子どもの頃に僕がこの作品を見たときは、風間くんやしんのすけと同じ視点で観ていました。

そのときは「懐かしい」ことの良さが理解できず、全体的によくわからない不気味な映画という印象でした。

でも大人になってからこの作品を観ると、オトナ側の視点で観ることができます。

昔を懐かしむ気持ちが理解できて、未来に生きたくないと思ってしまう気持ちもよくわかります。

観る年代によって感じ方が変わるというのは、すごくトリッキーな映画だと思います。

しかもこの映画は2001年公開で、そのときに小さい子どもを連れて映画館に行った大人は、古き良き昭和を味わった人々です。

しんのすけと同じ目線の子どもと、オトナ目線の親が隣り合って同時にこの映画を観ているんですよね。

ヒロシの回想のシーンでその親たちは何を思ったのか、気になります。

スカイツリーよりも東京タワーの方がいいと思ってしまうのは、僕自身も未来を生きたくないと思っているからなのでしょうか。

『オトナ帝国』は半年ほど前にも観たのですが、昨日もう一度観てしまいました。

今まで合計5回は観ていると思います。

最近は新しい作品を開拓するよりも、良かった作品をもう一度観たり、古い曲を聴くことが増えたような気がします。

まるで映画の中のヒロシやみさえです。

古いものを懐かしむというのは一見良いことのように思えます。

しかし、その気持ちは新しいものを否定するのと表裏一体で、現状に満足して成長を否定しているような気もします。

最近は新しく知り合う人に年齢の割に落ち着いているとよく言われます。

きっとそれは落ち着きとか余裕とかではないと思います。

同年代のノンケだったらこれから誰かと結婚して子をもうけてなど、大変かもしれないけれど希望に溢れてもいる未来が待っています。

僕は結婚するつもりもないし、マッサージのおかげで年配のゲイの人がどんな生活をしているのかがだいたいわかります。

自分の中でこうなるんだろうなというある程度の未来が予測できてしまいます。

子どもは持てないし、結婚して家族の分も稼がなければならないというストレスからは解放されています。

多分、落ち着いて見えるのはその「未来への諦め」に近いのかなと思います。

なんだか暗い話になってしまいました笑

ただ、独身ゲイの将来が孤独で悲惨なだけかというと、実際はそうでもないのかなとも思います。

経済的基盤がしっかりしていて知的好奇心が旺盛な人はいくつになっても楽しそうに見えます。

やっぱり、人間は成長したり未来に希望を持ったりしていないとダメなのかもしれないと思いました。

自分の中でそういうことを考えてなのかはわかりませんが、最近新しく資格の勉強を始めました。

マッサージの仕事は好きですが、入る予約には波があるのでどうしても暇な時間が生まれてしまいます。

予約待ちの時間にいつでもできるような仕事がしたいなと思って勉強しています。

久々に勉強していますが、やはり何かを学ぶというのは楽しいですね。

昔を懐かしむ気持ちも大切ですが、常に新しいものを取り入れたり、挑戦したりできる人になりたいです。

秋葉原の歴史と今後

最近よく見ているYouTubeのチャンネルがあります。

東京の各地域の歴史を紹介してくれるチャンネルで、ドキュメンタリー番組のように深いところまで調べて教えてくれます。

先日見た秋葉原の動画がとても面白かったです。

考えてみると、なぜ秋葉原が電気街なのか、どうしてオタクの街になったのか、よくわからないですよね。

秋葉原は昔、日本一の青果市場があったそうです。

今の秋葉原しか知らない僕にとっては、全然想像できないです。

今のUDXがあった場所が青果市場のあった場所だそうです。

UDXの近くに、その青果市場で卸業を営んでいた方が経営しているパフェのお店がありました。

フルーフ・デゥ・セゾン さん

実際に行ってみました。内装がどこか懐かしさを感じさせる雰囲気で、落ち着いていてとてもよかったです。

季節のシャインマスカットを贅沢に使用したパフェで、とっても美味しかったです。

ほぼ毎月季節のパフェが変わるそうです。毎月行けたらなぁ…

UDXが建てられる前はバスケットコートだったそうですが、こんな都心の駅前にバスケットコートがあったなんて全然信じられません。

秋葉原は変化の激しい場所なんだなぁと感じます。

冒頭で紹介したチャンネルでは、下町や庶民の歴史を知ることができて面白いです。

特に戦後のGHQによる改革や、それに伴う急激な社会の変化の中で奮闘した一般人の歴史を知れてよかったです。

教科書に載っていない歴史がしっかりと存在しているんだなと。

当たり前のことですが、実際の写真や映像を見ることでそれを実感しました。

秋葉原は常に時代の最先端を取り入れてきた街なんだと思います。

昔は最新の情報や電化製品は、神田や秋葉原に行かないと手に入れられませんでした。

しかし、今はインターネットでなんでも手に入る良い時代になりました。

コロナウイルスの影響でいろいろなお店が秋葉原から撤退して、リモート労働も多くなって、都会にいる必要がなくなりました。

インターネットで社会が均質化する中で、10年後や20年後の秋葉原はどんな街になっているのかなと、

不安ながらちょっぴり期待しているような、そんな気持ちになります。

Fly Me to the Moon

今日は皆既月食でしたね。

みんな空を見上げながらスマホで写真を撮っていて、楽しそうでした。

そこまで寒くないし、澄み渡った秋の夜空で最高のタイミングだったと思います。

東京駅と月食

都心はビルや灯りのせいで全然星空が見えませんが、皇居まで行くと突然空が開けます。

僕は満月や流星群のときなど、皇居に行くことがあります。

みんな空を見上げながら歩いていて、同じことを考えているんだとわかるあの空気感が好きです。

桜田門と月食

じーっと月を見ていたら、 Fly Me to the Moon の曲を思い出してきました。

日本人は月を見ると、夏目漱石が言ったとか言ってないとかいわれている「月が綺麗ですね(愛しています)」の言葉をまず思い浮かべると思います。

これは日本人の奥ゆかしさを表している話だとよく言われますが、実はアメリカで生まれた Fly me to the Moon の歌詞にも同じような奥ゆかしさが出ています。

以下が歌詞と僕が訳した和訳です。

Fly me to the moon
Let me play among the stars
Let me see what spring is like
On Jupiter and Mars

私を月へ連れて行って
星たちの中で遊ばせて
木星や火星では
どんな春なのかを見せてほしい

In other words, hold my hand
In other words, darling kiss me

言いかえれば、手を握って
つまり、キスをしてほしいってこと

Fill my heart with song
And let me sing for ever more
You are all I long for
All I worship and adore

私の心を歌で満たして
そして永遠に歌わせて
あなたは私がずっと望んでいた人
尊敬し、敬愛する人

In other words, please be true
In other words, I love you

言いかえれば、叶えてほしい
つまり、愛してる

本当に良い詞だと思います。

それまで自分の気持ちを伝えるのを抑えていたのに、最後に我慢しきれず「I love you」と言ってしまうところがアメリカ人らしいですね。

きっと日本人の作詞ではこうはならないんだろうなと思います。

細かな違いはあれど、どちらも自分の恋心を月に隠して伝えていて面白いです。

丸の内のビルと月食

今日は深夜にこのブログを書いているので、なんだかセンチメンタルな気分です。

夜や月には人を感傷的にさせる何かがある気がします。

月に詩的な意味がたくさん込められてきた理由がよくわかりました。

みなさんは月食を見て、何を考えましたか?

アンケート結果

オープンしてから2ヶ月が経ちました。

たくさんの方に来ていただけて、本当にありがたいです。

この2ヶ月の間に来ていただいたお客様に、アンケートをお配りさせていただきました。

ご回答いただき、誠にありがとうございます。

今回はそのアンケートに記載いただいた、マッサージの感想を一部紹介させていただきたいと思います。

こちらこそ、優しくて紳士的なお客さまばかりで感謝の気持ちでいっぱいです!

タイ古式は指圧やストレッチが多いので、そういったマッサージをご希望の方には合うのではないかなと思っています!

オイルを使用しないのはタイ古式の良い点だと思っています!もちろんオイルマッサージが好きなお客さまも多いと思いますが、僕はシャワーでも全然落ちないオイルが少し苦手でした笑

室温に関してはなるべくお客様が快適な温度になるよう心がけています!

はい!笑

こう言っていただけると、正直嬉しいです笑

マッサージをやっていてよかったなと思えます。

また、改善点を書いてくださった方もいらっしゃいます。

とても参考になりました。ご指摘ありがとうございます。

今はマッサージの前に自分もシャワーで流すようにしています!

きっと不満点や改善すべき点は直接言いにくいと思うのですが、より良いマッサージを提供していきたいので、ご遠慮なくおっしゃってほしいです。

お客さんの立場にならないと見えないものはけっこうあるんだろうなと思います。

僕も余裕ができたらいつか他のゲイマッサージのところにお客さんとして行っていろいろな勉強がしたいです笑

アンケートでは他にもお部屋のことなど、細かな部分についてもお答えいただきました。

今後とも改善・改良していこうと思います。

これからもよろしくお願いいたします!

秋夜長物語

こんにちは。秋が深まってきて、日が暮れるのがどんどん早くなってきていますね。

先日、Twitterで興味深いツイートを見かけました。

このツイートで『秋夜長物語』という作品を初めて知りました。

読んでみたいと思ったのですが、なんと現代語訳版が絶版になっていました。

『お伽草子』, ちくま文庫, 1991年出版(絶版)

あまり紙の本は持たないようにしているのですが、古本を購入しました。

古典作品は紙の方が味が出てよかったかもしれません。たまには紙の本もいいですね。

以下に登場人物と簡単なあらすじをまとめておきます。

【登場人物】
・桂海: 比叡山東塔、勧学院の律師(後に西山の瞻西上人となる)
・梅若: 三井寺の稚児(花園左大臣の子ども)
・桂寿: 梅若に仕えている童

【あらすじ】
①桂海が石山寺に参篭したとき、美しい稚児の夢を見る

②再び石山を訪れる途中、三井寺にて夢に見た稚児と同じ稚児の姿を見る

③その稚児は梅若で、桂海は桂寿の仲立ちで逢瀬が叶う

④その後、桂海は梅若への恋の病に臥し、心配した梅若が桂寿とともに比叡山へ向かうが、途中で天狗に攫われてしまう

⑤梅若が行方不明になったため、三井寺は比叡山の僧侶である桂海のしわざだと思い込んだ

⑥三井寺の僧侶たちは、梅若の父の花園左大臣がこのことを知らなかったはずがなく、比叡山の僧侶と結託したのであると思い込み、花園左大臣邸を焼き討ちにしてしまう

⑦比叡山はそれに対して三井寺を焼き討ちにし、合戦に至る

⑧梅若と桂寿は龍神の力で天狗の牢から脱出する

⑨ところが実家と三井寺が全焼したのを見た梅若は絶望し、入水を決意する

⑩梅若の亡骸を見つけた桂海と桂寿は嘆き悲しみ、亡骸を荼毘に付した

⑪梅若の死を受け、桂海は菩提心を起こして西山で遁世し、桂寿も髪を剃り高野山へ上った

⑫三井寺の僧侶たちは離山する前に神羅大明神の前で最後の法要を行う

⑬明神は、梅若は石山観音の変化であり、今回の事件は全て石山観音が桂海たちを仏道に導くための方便であったということを明かす

①〜③は女性向けBLのような、たおやめを感じさせる優美な表現が多かったです。

それに対し、⑤〜⑦は書き手が変わったのかというくらいに激しい、少年向けバトル漫画のような描写でした。

調べてみたところ、『秋夜長物語』は室町時代の軍記物である『太平記』の影響を受けているそうです。

そして一番驚いたのが、最後の⑬の部分です。

梅若は桂海たちを発心させるための存在だったのですね。

観音様が衆生救済のために美しい稚児に変化し、僧侶に恋煩いを起こさせ合戦を起こさせるというのは、本当に正しいやり方だったのでしょうか笑

BL古典だと思っていたのに、途中でバトル漫画になるし仏教説話だったしでいろいろと驚かされました。

高校の国語の教科書に『稚児のそら寝』という物語が載っていたのを思い出します。

国語の先生が当時は僧院で稚児が男色の対象になっていたと教えてくれて、昔はそういうのが当たり前だったんだなとびっくりしたのを覚えています。

『秋夜長物語』のような作品を教科書に載せるのもいいんじゃないかなと思いました。

現代では法やルールによってLGBTの差別是正を試みていますが、元々日本には男色文化があったので、そのことを知れば同性愛に対してそんなに否定的にはならないと思います。

この作品は純粋な文学作品としても面白いです。本当に教科書に載せてもいいくらい。

梅若の登場の場面では容姿が雨に濡れた可憐な桜に喩えられていて、亡骸が見つかる場面では濡れた紅葉に喩えられ、雪のような胸のあたりは冷え果てていたと描写されています。

梅若の登場から入水までを1年の季節に喩えています。

また、梅若の登場の場面で詠んだ歌

降る雨に濡るとも折らん山桜雲のかへしの風もこそ吹け

(雨雲を吹き返す風が花を吹き散らしててまわぬうちに、よし雨に濡れても山桜の枝を一房手折っておこう)

永井龍男 訳, 1991, 301p

そして入水前に詠んだ歌

我身さて沈みも果てば深き瀬の底まで照らせ山の端の月

(この身が水底に沈んでしまったら、山の端に上りかかる月よ、その深い瀬の底まで照らしておくれ)

永井龍男 訳, 1991, 320-321p

桂海が梅若の亡骸を見て嘆き悲しむ場面では、これらの歌を踏まえて、「枝から落ちた花が二度と咲くことはなく、西に傾いた残月がまた中空に帰ることもない」と無情に語られます。

梅若の命の不可逆性を花と月に喩えています。

儚いものが美しく、それが男の子である稚児に表されているというのは、日本古来の独特な感性だと思います。

梅若は全体的に淡く儚く、触れれば簡単に壊れてしまうような存在として描かれていました。

「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」の有名な歌にあるように、秋の夜長は寂しさを感じさせるものです。

『秋夜長物語』という題は、梅若を亡くし、俗世間から離れて1人で余生を過ごす桂海の心情を表しているのかなと思いました。

物語の最後、瞻西上人と改めた桂海の書院の壁には

昔見し月の光をしるべにて今夜や君が西へ行くらん

(今夜も美しく澄み渡った月が西の空へ傾きかけたが、これはあの方が昔二人で眺めた月の光を道しるべとして、西方極楽浄土へ赴かれようとしているのだろうか)

永井龍男 訳, 1991, 326p

という一首が記されてあったそうです。本当に切ないですね。

以上、少々長くなりましたが『秋夜長物語』の紹介でした。

当時の僧院での稚児がどのような存在であったのかがよくわかり、面白かったです。

日本最古の男色本であることがこの作品のオリジナリティを高めている部分であり、注目される部分です。

しかしながら、軍記物語の影響を受けたことや仏教説話の形になっている点は、同時代の他の文学と比較する余地もあり、面白そうだと思いました。

分量としてはあまり長くなく、すぐに読み終えることができました。

『お伽草子』にはこの作品以外にもたくさんの物語が収められているので、暇なときに別の物語も読んでみようと思います。

実際に読んでみたいという方にはこの本をお貸しするので、予約時にお伝えください!

ルイボスティーの効能

一気に寒くなってきましたね。

衣替えと断捨離でちょっぴり疲れました。

僕は北向きの部屋に住んでいるので、冬は屋外並みに冷えてしまいます。

寒さをしのぐために毛布を何枚も使うので、何回も干して疲れました。

冬は体が硬くなってしまうので、マッサージを受けるには良い季節だと思います!

外側から体を温める以外にも、内側から体を温めることも大切ですね。

僕は冬場はカップスープやお茶を大量に買って一日中飲んでいます。

最近はプロテインスープなんていうものも売っていて、気になっています。

冬の寒い日の朝に冷たいプロテインは飲みたくないですが、これなら飲めそうです。

パスタだけのようなタンパク質が不足している食事に合わせるのも良さそうです。

最近はルイボスティーにハマっています。

ノンカフェインで、夜眠る前に温かいルイボスティーを飲むとよく眠れます。

ルイボスティーには以下のような効能があるそうです。

・血流促進

・アレルギー症状の緩和

・リラックス効果

・むくみ対策

・血圧低下

・便秘解消

・アンチエイジング

・悪玉コレステロールの減少

個人で始める準備をしていたときは暑かったので、あまりよく考えずにお客さんに出すお茶を麦茶にしていました。

ノンカフェインなのは良いのですが、箱で買ったのが650mlの大容量のペットボトル麦茶で、お客さんにお持ち帰りいただく際にお荷物になっていました。

この間、ちょうどいいサイズのルイボスティーを見つけたのでそちらに切り替えようかなと思っています。

マッサージとルイポスティーで、体の外側からも内側からも健康になっていただきたいです。

余った麦茶は長風呂するときにでも飲もうかな笑