秋夜長物語

こんにちは。秋が深まってきて、日が暮れるのがどんどん早くなってきていますね。

先日、Twitterで興味深いツイートを見かけました。

このツイートで『秋夜長物語』という作品を初めて知りました。

読んでみたいと思ったのですが、なんと現代語訳版が絶版になっていました。

『お伽草子』, ちくま文庫, 1991年出版(絶版)

あまり紙の本は持たないようにしているのですが、古本を購入しました。

古典作品は紙の方が味が出てよかったかもしれません。たまには紙の本もいいですね。

以下に登場人物と簡単なあらすじをまとめておきます。

【登場人物】
・桂海: 比叡山東塔、勧学院の律師(後に西山の瞻西上人となる)
・梅若: 三井寺の稚児(花園左大臣の子ども)
・桂寿: 梅若に仕えている童

【あらすじ】
①桂海が石山寺に参篭したとき、美しい稚児の夢を見る

②再び石山を訪れる途中、三井寺にて夢に見た稚児と同じ稚児の姿を見る

③その稚児は梅若で、桂海は桂寿の仲立ちで逢瀬が叶う

④その後、桂海は梅若への恋の病に臥し、心配した梅若が桂寿とともに比叡山へ向かうが、途中で天狗に攫われてしまう

⑤梅若が行方不明になったため、三井寺は比叡山の僧侶である桂海のしわざだと思い込んだ

⑥三井寺の僧侶たちは、梅若の父の花園左大臣がこのことを知らなかったはずがなく、比叡山の僧侶と結託したのであると思い込み、花園左大臣邸を焼き討ちにしてしまう

⑦比叡山はそれに対して三井寺を焼き討ちにし、合戦に至る

⑧梅若と桂寿は龍神の力で天狗の牢から脱出する

⑨ところが実家と三井寺が全焼したのを見た梅若は絶望し、入水を決意する

⑩梅若の亡骸を見つけた桂海と桂寿は嘆き悲しみ、亡骸を荼毘に付した

⑪梅若の死を受け、桂海は菩提心を起こして西山で遁世し、桂寿も髪を剃り高野山へ上った

⑫三井寺の僧侶たちは離山する前に神羅大明神の前で最後の法要を行う

⑬明神は、梅若は石山観音の変化であり、今回の事件は全て石山観音が桂海たちを仏道に導くための方便であったということを明かす

①〜③は女性向けBLのような、たおやめを感じさせる優美な表現が多かったです。

それに対し、⑤〜⑦は書き手が変わったのかというくらいに激しい、少年向けバトル漫画のような描写でした。

調べてみたところ、『秋夜長物語』は室町時代の軍記物である『太平記』の影響を受けているそうです。

そして一番驚いたのが、最後の⑬の部分です。

梅若は桂海たちを発心させるための存在だったのですね。

観音様が衆生救済のために美しい稚児に変化し、僧侶に恋煩いを起こさせ合戦を起こさせるというのは、本当に正しいやり方だったのでしょうか笑

BL古典だと思っていたのに、途中でバトル漫画になるし仏教説話だったしでいろいろと驚かされました。

高校の国語の教科書に『稚児のそら寝』という物語が載っていたのを思い出します。

国語の先生が当時は僧院で稚児が男色の対象になっていたと教えてくれて、昔はそういうのが当たり前だったんだなとびっくりしたのを覚えています。

『秋夜長物語』のような作品を教科書に載せるのもいいんじゃないかなと思いました。

現代では法やルールによってLGBTの差別是正を試みていますが、元々日本には男色文化があったので、そのことを知れば同性愛に対してそんなに否定的にはならないと思います。

この作品は純粋な文学作品としても面白いです。本当に教科書に載せてもいいくらい。

梅若の登場の場面では容姿が雨に濡れた可憐な桜に喩えられていて、亡骸が見つかる場面では濡れた紅葉に喩えられ、雪のような胸のあたりは冷え果てていたと描写されています。

梅若の登場から入水までを1年の季節に喩えています。

また、梅若の登場の場面で詠んだ歌

降る雨に濡るとも折らん山桜雲のかへしの風もこそ吹け

(雨雲を吹き返す風が花を吹き散らしててまわぬうちに、よし雨に濡れても山桜の枝を一房手折っておこう)

永井龍男 訳, 1991, 301p

そして入水前に詠んだ歌

我身さて沈みも果てば深き瀬の底まで照らせ山の端の月

(この身が水底に沈んでしまったら、山の端に上りかかる月よ、その深い瀬の底まで照らしておくれ)

永井龍男 訳, 1991, 320-321p

桂海が梅若の亡骸を見て嘆き悲しむ場面では、これらの歌を踏まえて、「枝から落ちた花が二度と咲くことはなく、西に傾いた残月がまた中空に帰ることもない」と無情に語られます。

梅若の命の不可逆性を花と月に喩えています。

儚いものが美しく、それが男の子である稚児に表されているというのは、日本古来の独特な感性だと思います。

梅若は全体的に淡く儚く、触れれば簡単に壊れてしまうような存在として描かれていました。

「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」の有名な歌にあるように、秋の夜長は寂しさを感じさせるものです。

『秋夜長物語』という題は、梅若を亡くし、俗世間から離れて1人で余生を過ごす桂海の心情を表しているのかなと思いました。

物語の最後、瞻西上人と改めた桂海の書院の壁には

昔見し月の光をしるべにて今夜や君が西へ行くらん

(今夜も美しく澄み渡った月が西の空へ傾きかけたが、これはあの方が昔二人で眺めた月の光を道しるべとして、西方極楽浄土へ赴かれようとしているのだろうか)

永井龍男 訳, 1991, 326p

という一首が記されてあったそうです。本当に切ないですね。

以上、少々長くなりましたが『秋夜長物語』の紹介でした。

当時の僧院での稚児がどのような存在であったのかがよくわかり、面白かったです。

日本最古の男色本であることがこの作品のオリジナリティを高めている部分であり、注目される部分です。

しかしながら、軍記物語の影響を受けたことや仏教説話の形になっている点は、同時代の他の文学と比較する余地もあり、面白そうだと思いました。

分量としてはあまり長くなく、すぐに読み終えることができました。

『お伽草子』にはこの作品以外にもたくさんの物語が収められているので、暇なときに別の物語も読んでみようと思います。

実際に読んでみたいという方にはこの本をお貸しするので、予約時にお伝えください!